『ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学』上遠野浩平

読んだので感想を書く。ネタバレもしていく。

 

ブギーポップ』シリーズ最新作、シリーズ21作目(本にすると22冊目)の『パニックキュート帝王学』。

『パニックキュート帝王学』……シリーズの中でも、というか上遠野浩平の著作の中でもとりわけ変わったタイトルである。「パニック」かつ「キュート」、そして「帝王学」という噛み合わなそうなワードが連なっていて、正直最初見たときは驚いた。

話は末真和子が偶然にも全国模試でトップをとってしまうことに始まり、そこで目をつけられたパニックキュートとともにブギーポップという噂の正体を探っていくという展開となる。パニックキュートを追うカレイドスコープも『ジンクス・ショップへようこそ』以来の再登場。「世界にとって美しいとは何か」、そして「なぜブギーポップはその美しさに相容れないのか」といったパニックキュートとの会話が楽しい。

 

ネタバレすると最初に言ってあるので、もうここからガンガンネタバレすることにする。

今回主に登場するパニックキュートは、実はすでに死亡しており、もう一人がパニックキュートを演じていたということが明かされる。ちなみにマロゥボーンのサングラスを掛ける偽装は、自分はカレイドスコープへのリスペクトだと予想していた。予想は外れた。

かけがえのない存在の死を認められず、本人を装うという設定は最近だと『パンゲアの零兆遊戯』でも見られた。それまで装っていた欺瞞のすべてを取り払ってからのラスト、全力の散り際のカッコよさ(今回は「美しさ」のほうがいいか)が強く印象に残り、ワイヤーでのバラバラも挿絵の力もあってか妙に爽快感があった。やっぱブギーポップ好きだなぁと再確認できたシーン。

今回のキーワードは「美しさ」「皇帝」「支配」という感じだと思う。『螺旋のエンペロイダー』と重なる題材ではあるけども、今回の『パニックキュート帝王学』は"統和機構にとって"の皇帝という話なのだろう。エンペロイダーに出てきたあいつは間違っても統和機構のトップにならないだろうし。

パニックキュート(本物)と末真との会話で、皇帝の責任には「負けを認めることだ~」という話があった。ここでのニュアンスは、ひとりひとりが帝王として何をするかといった流れだが、あえて統和機構の皇帝としての「負けを認めること」ってなんだろうと考えたら、統和機構ってやっぱ人類の過剰な進化を食い止めるのが目的の組織だし、人類が進化していく(MPLSみたいな異能を持つことかどうかはよく知らない)のを受けとめることなのかな、と。人間讃歌っぽい。

 

読んでて思ったこと、というか誤読だったら恥ずかしいんだけど、パニックキュート(本物)って能力的にはともかく思想的にあんまり「世界の敵」になりそうもない人物で、ブギーさんがマロゥボーンに言った「――ぼくが殺したんだよ」っていうのは嘘である可能性大だと思う。ブギーさんなりのやさしさじゃないのかな。確かブギーポップファントムでも同様の嘘ついてた。

そうそうファントムといえば、2018年はブギーポップ20周年ということで再びTVアニメ化するらしい。おめでとうございます。発表時は「うっひょー!」と飛び上がったりしたけど、いろいろごたごたが起こったりアニメの新情報もまだそれほど出てないこともあって現在は期待半分不安半分というところ。はやくアニメ観たいよ。

 

あと、ポリモーグことポンちゃん。彼女は働かない系合成人間としてまたどこかで再登場してほしい。それからファータル・クレセント。 なんとなく最後に出てきて藤花に文句言うって立ち位置が『さびまみれのバビロン』の諸山文彦っぽく感じた。肥沃な三日月地帯ということでイマジネーター一派かな? と思ったけど、こじつけ過ぎかなとも思う。末真のムーン・リヴァーとの対比? くらいしか思いつかない。あと、フォルテッシモさんの未来行きのフラグがまた立っていた。彼にはまぁ、ほどほどに頑張ってほしい。

以上。